かすかに見えた夢の先の景色

アニメをよく見る

週に数十本というペースで放送されるアニメを片っ端から見るという生活をかれこれ10年近く続けている。こんなことを続けていると、アニメのジャンルの違い、作品の多少の善し悪しなどどうでも良くなってくるが、どうもアイドルアニメは例外的な存在で、気がつくと作品にのめり込んで視聴していることが多い

その切っ掛けになったのは、友人から熱く勧められたある子供向けアニメの劇場版作品だった

子供向けアニメの劇場版にありがちなオールスターお祭りものでありながら、初めて見る俺にもすぐ理解出来るほど登場人物の立て方が巧みでいつの間にかのめり込みながら見ていた。引退を匂わせるトップアイドル、彼女に憧れる主人公はそれを引き留めるため、仲間たちでフェスを主催して、トップアイドルにもう一度やる気を出してもらおうという物語と、その主人公を慕う後輩アイドルの3世代に渡る想いをバトンにしてつなげていく物語。それぞれを軸としたシナリオは世界観がさっぱりわからなくとも心に響く見事な仕上がりで、登場したアイドル全員で歌い踊るクライマックスに猛烈に感動した俺は、追っかけテレビシリーズもすべて視聴し、勢いでBlu-rayも全巻揃える羽目になる

それがアイカツだった

テレビ版を見始めてすぐ、キャラクターの喋る声と歌う声が違うことにはたと気づいた

EDクレジットを確認すると、たしかに楽曲の歌のパートには声優ではなく、わか、ふうり、りすこ、という別の名前がクレジットされている。これは一体どういうことなのか

自分で調べたのか、それとも友人から聞いたのか記憶が定かではないが、アイカツ!は、登場するアイドルたちのしゃべる声を担当する声優と、歌を担当する歌唱担当が別々という特徴がある、とわかった。アイドルたちはドラマパートと、ライブパートのそれぞれで違う声で喋り、歌う。そこにアイカツ!の独自性(特異性と言ってもいい)があり、両者はアイカツという作品を構成するうえで不可欠な要素だった

アニソンを中心に活動する音楽制作集団MONACAが提供する楽曲はどれもクォリティが高く、世界観を補強しながらキャラクターたちの気持ちに寄り添う歌詞にも魅了された俺は、CDも買いそろえヘビーローテーションで聴き続けることになる

そんなアイカツを構成する重要な役割を与えられている歌唱担当だが、実際のところ作品内での扱われ方は声優と明確に区別されていたと思う

声優たちは、あくまで声優してその役を演じているのに対して、歌唱担当は本来の芸名とは別に、ひらがなで2文字か3文字程度というアイカツ専用の名前を与えられ、個性を漂白されている。その点からもアイカツという巨大なコンテンツの看板と言うより、裏方という側面のほうが強く感じられる

歌唱担当が歌う歌は、あくまでもゲームやアニメに登場するアイドルたちのために作られている。振り付けも衣装もそうだ。1エピソードの中で歌唱担当に与えられる一度きりのライブパートは3分にも満たない

もちろん歌唱担当がアイカツではない本来の活動を通じてアイカツと同じようなクォリティの楽曲を提供されたかどうかは、かなり難しいのでは、というのが正直なところではあった

アイカツという巨大なコンテンツを支える部品として歌唱担当だけ一方的に個性を漂白されるといういびつな構図、その非対称性に俺は興味を覚え、アニメ本編と同時に歌唱担当の活動に注目するようになった

アニメの劇中では日の目を見ることのない歌唱担当が表舞台に立つのは、販促イベントや年に数回のライブのときだった。大きな会場で開催されたものはソフト化され、俺はさらに金銭を搾り取られながら彼女たちの活動を追う

初めて彼女たちのステージを見たとき、アニメのキャラとは似ても似つかない、地下アイドル然とした(失礼な物言いだけど、彼女たちの本来のフィールドはそこだ)歌唱担当たちが、アニメと全く同じ声、同じ衣装、同じ振り付けで歌い踊る姿の、本物なのに本物と違うという一筋縄ではいかない違和感を感じつつも、やがて歌唱担当たちの晴れ舞台に目が釘付けになっていった

アニメの中では徹底的に作品に奉仕する立場である彼女たちのステージでは、アニメのために作られたもの全てが彼女たちに奉仕する立場へと逆転する

そんな彼女たちの姿を追い続けるうちに、俺にとってのアイカツというコンテンツは、アニメが繰り広げる大きな文脈から、それを支える歌唱担当たちがつかの間与えられる表舞台で、彼女たち自身の紡ぎ出す文脈を楽しむという方向にシフトしていった

月日は流れ、アイカツというコンテンツは最初の爆発的な勢いは徐々に失わっていく。アイカツ!はその世界を膨張させ続け、それに比例するように物語は徐々に散漫になり、3年半、全178話をもって完結。次に登場したアイカツスターズ!は、世界観とキャラクターを一新してリセットを図ったが、傍目にも盛り込みすぎた様々な要素のせいか序盤から迷走し、2年目では持ち直した印象だったが、新たなシリーズを迎えることなく完結した。

歌唱担当のメンバーもその流れに合わせて追加、変更された。有無を言わせない変化にも彼女たちはプロフェッショナルを貫き通し変わらぬパフォーマンスを紡いでいったが、今年の2月末に行われた『アイカツ!ミュージックフェスタ in アイカツ武道館!』をもって遂に歌唱担当グループとしての活動を終えることになる

最後の幕引きに用意された武道館という破格のステージは、アイカツを支え続けた歌唱担当たちへの最後のご褒美というところだろうが、最新シリーズのアイカツフレンズ!からは声優が歌も兼任することになったので体よく解雇された、という印象の方が俺には強かった

 とは言うもののそれはそれ、武道館である。その大箱で用意されたステージがどんなものになるのか楽しみで無いはずも無く、全般的にライブというものにそんなに興味のない俺としては相当な覚悟をもって2日間のチケットを確保し、半休を取り、当日に臨んだ

圧巻だった

パフォーマンスのクォリティそのものは勿論だが、俺が圧倒されたのは、あの場所で生まれたその夜限りの文脈だった

アイカツの楽曲に書かれた歌詞は、希望に溢れ、始まりを祝福する内容のものが多く、特にアンセムとして位置づけられるような代表曲にその色が濃い

この夜をもって活動に終止符を打つ歌唱担当たちが、終わらないアイドル活動の歌を高らかに歌い上げる。その歌詞は本来持つ意味にもう一つの意味が加えられ、アニメ本編では実現し得ない、彼女たちにとっての終わりは同時に始まりであるという奥行きを獲得したのだ

このことでアイカツ歌唱担当は、アイカツという大きな文脈の中に身を置きながら、自ら紡ぎ出した独自の文脈でアイカツを凌駕するという、そのいびつな関係の非対称性を最後まで維持しながら、その主従が逆転するという、奇跡を見せてくれた

今までアイカツを見てきた俺はこれが見たかったんだと、武道館で初めて気づき、同時にもうその先は見られないことに気づくという、強烈な体験だった

 

そして数ヶ月後

そんな武道館の記憶が未だ色濃いうちに告知されたアイカツ5周年イベントに、解散した歌唱担当の一部のメンバーが出演すると聞き、正直複雑な気持ちになった。あんなに華々しいフィナーレを迎えたのにもうそれか?と

そう思いながらも、楽曲オンリーだったミュージックフェスタと違い今回はアニメシリーズ全体の記念イベントだし、せっかくだから一応見ておくか、くらいの心づもりで臨んだ『アイカツ!シリーズ 5thフェスティバル!!』最初のうちはまあ予想した通りの展開で、こんなもんか程度で見ていたのに…

 

続く