2016イラン その9 ペルセポリス
シラーズからペルセポリスへ行くには現地ツアーを申し込むか、個人で車を手配して行くかどちらかになります。集団行動が根っから苦手なのでツアーは選択肢に入りません。
個人の場合、移動コストが一番安くすみそうなのはシラーズの北50kmほどにある町マルヴタシュトまでミニバスで移動し、そこからタクシーでさらに北へ10km程移動するとペルセポリスへ到着します。ホテルからバスターミナルまで50000リアル、ミニバスが15000リアル、マルヴダシュトからのタクシーが50000リアルくらいらしい・・・このプランで行ってみることにして、ホテルでタクシーを呼んでもらいます。
ホテルで呼んでもらうタクシーは何故かいつも白タクで、ドライバーは大抵他に本業を持ってる人ばかりなのですが、今回のドライバーさんは高校教師をしている気の良いおっちゃんでした。
「バスターミナルまでやってちょうだい」
「どこ行くの?イスファハーン?(長距離バスが出ている)」
「ミニバスでマルヴダシュトまで行くんだよ」
「ペルセポリス行くの?ペルセポリス、ナグシェ・ラジャブ、ナグシェ・ロスタム(どちらもペルセポリスの近くにある遺跡)3箇所まわって最後にクルアーン門(シラーズ北側にある立派な門)寄って4時間、90万リアル(約3000円)でどや?」
うーん商売上手。一台のタクシーで全部まわる方が断然楽だし、そんなに高くないし、悪い人では無さそうだしいいか、というわけで商談成立。
素通りしたマルヴダシュトの町
シラーズ~マルヴダシュト~ペルセポリスの位置関係 ピンが立っている場所がペルセポリス
マルヴダシュトを抜け、シラーズ・ペルセポリス街道というわかりやすい名前の道路をひたすら直進する
このひたすら真っ直ぐな道路の先に
来た!
ついにペルセポリスへ来た!
途中で見知らぬおばちゃんが「ガイドいる?」と声をかけてきたりしましたが丁重にお断りします。
上の写真を撮った場所のはるか後ろに入場チケット売り場があり、写真真ん中にちっちゃく見えるのがゲートなんですが、ゲートを通ろうとしたら係のおっさんに「バッグは持ち込み不可(デイパックを背負っていた)だから、預けてこい」と言われ、チケット売り場の隣にあるクロークまで軽く500mほどUターンします。最初に教えてくれよ・・・さっき声をかけてきたガイドのおばちゃんはニヤニヤしながらこっちを見てました。知ってて教えなかったなこいつめ。ショルダーバッグをかけた女性観光客は何故かスルーでした。基準がわからん。
お昼寝中だったクロークの係員を起こし、バッグを預けます。むき出しのカメラ、水筒(Thermosのゴツいやつ)折り畳み傘を手に持ち、再度500mの道のりを歩きます。その前にクロークの係員にこれは持ち込んで大丈夫だよね?としつこく念を押しました。大丈夫でした。
無事にゲートをクリアして正面の階段を登ると
クセルクセス門が目の前に
感無量
儀仗兵の通路
双頭の鷲像 この上に梁を通して屋根をかけていたらしい
左は未完成の門と呼ばれている遺跡 右奥に見えるのは三十二柱の間 なぜか観客席が設営されていた
百柱の間 昔は柱が百本建ってたらしいが今はスカスカ
謁見の間
中央宮殿
ごらんの通りマッハバンドが出そうな雲一つ無い青空で、ペルセポリス敷地内には日差しを遮るものがほぼありません。5月とはいえ厳しい直射日光にさらされると体力はかなり削られます。ここで活躍したのが折りたたみ傘。雨用のデカイやつで紫外線を遮り、Thermosの魔法瓶に入れた冷水でまめに水分補給をしたおかげで快適に過ごせました。傘なんか差してたのは俺くらいでしたが周りの目なんか気にするな。
さて念願のペルセポリスですが、思っていた以上に遺跡の保存状態が良くなく、ちょっと寂しい場所でした。至る所にいたずら書きがあったし。特にクセルクセス門を削った暴虐の徒は地獄で焼かれるべきです。ただそれは遺跡に触れる距離まで近づけるような展示がされているという意味でもあるし、おそらく将来はそのような見方はできなくなるのではないか、その点では今ペルセポリスを実際に見た意味というのは大きかったかなと思いました。
人間が生きた痕跡の残る場所というのが好きで、旅行するときは大抵そういう場所を選ぶのですが、どうも俺はいずれ無くなるもの(場所)を見ておきたいという欲求が強い。こんな壮大な宮殿だって外敵に侵略されたら柱が何本か残るくらいの痕跡しか残らないわけです。放っておけばただ消え去るものを何とかして延命させ人々の記憶に残す、その人間の業を見届けたいがためにわざわざ7600kmもの距離を移動して現物を拝みに行くわけです(大袈裟)。デカイ石をわざわざ切り出して積み上げて宮殿や寺院を作り上げて栄華を極めた文明がやがて滅び、時を経てその残骸が砂漠やジャングルに呑み込まれそうになってる姿なんてたまらなく美しいですよ。それでもアレクサンダー大王は本当に碌な事しねえなと思いましたが。
つづく